新たな「フェニックス族」――都市と地方の新たな関係

インバウンド・地域活性 コラム

成定竜一(高速バスマーケティング研究所(株)代表)
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 高速バスの歴史を考える際のキーワードの一つに、「フェニックス族」という言葉がある。

 我が国の高速バス事業は、1980年代後半に急成長した。高速道路網の拡充や、「国鉄」末期の高運賃・低サービスなどが背景にある。また、運輸省(当時)が、各地で乗合バス(路線バス)事業を営むバス事業者に高速バス参入を認めたことも大きい。地方の乗合バス事業者が自ら大都市(三大都市や地方中核都市)への高速バスを(大都市側の大手私鉄系事業者らと共同で)運行を始めると、彼らは「地元の名士企業」であることから、高速バスは地方の人の大都市への足としてあっという間に定着した。

 鉄道だと大回りで相当な時間がかかる宮崎~福岡間で、宮崎交通と西鉄らが、共同運行の高速バスを運行開始したのは1988年だ。当初は1日3往復と地味なスタートだったが、次々に増便を繰り返し現在では29往復(ピーク時は20分間隔)という人気路線に成長した。「フェニックス号」という路線愛称は、宮崎県を象徴する木「フェニックス」(ヤシの木の一種)から名付けられた。

 運行開始後、毎週末、宮崎の若者らが競うように高速バスで福岡に遊びに行く、という現象が見られた。福岡では、天神地区の再開発もあって翌89年に百貨店やファッションビルが続々と開店するなどし、九州一円の若年層が多く集まっていた。バブル経済の真っただ中であり、「トレンディ・ドラマ」などを通し都市的な生活がもてはやされていた頃だ。

 週末に、早朝便で福岡へ向かい最終便で戻ってくる宮崎の若者を、地元新聞社が「フェニックス族」と名付けた。分割民営化直後のJR九州が、それに対抗して長崎や佐世保から福岡へ出かける若者を「かもめ族」「みどり族」(「かもめ」「みどり」は両区間のJR特急電車の愛称)と名付けようとしたくらいだから、「フェニックス族」の呼称は一般にもよく知られていたようだ。むろん、「族」と命名まではされなくとも、高速バスで片道3時間程度の周辺地域から東京や京阪神に向かう高速バスでも、同様の利用が多くみられた。

「フェニックス号」をはじめ高速バスの輸送人員は引き続き伸長しており、その内訳は、依然として「地方在住者の大都市への足」需要が中心だ。パーク&ライドの充実などもあり、(都会の人には意外かもしれぬが)出張での利用も多い。就職活動で大都市へ向かう地方側の学生の姿もよく見かける。音楽イベントの開催日には、高速バスの座席は若者で埋まる

 一方、正確な統計を取れておらず恐縮だが、感覚的には、イベントなど明確な目的がある場合を除き、「都会の空気を吸いに行く」ことを真の目的として土曜朝の高速バスに乗り込む地方側の若者は減ったように感じられる。実は、バス業界の規制緩和後、「フェニックス号」には、低価格を武器に競合が新規参入し競争が始まっている。「フェニックス族」という言葉を知っているゆえ、特に、宮崎の若者は「福岡への足」の価格の話には敏感なのだろうと勝手に想像していたが、知人の会社の学生バイトさんに聞いたところあまり関心がないようであった。

 阿部真大『地方にこもる若者たち 都会と田舎の間に出現した新しい社会』(朝日新書。2013年)によると、イオンモールに象徴される「ほどほどに楽しめる場所」が地方に生まれており(現に、宮崎にも巨大なイオンモールがある)、「「つまらない地方」と「刺激的な大都会」という二項対立がかつての構図であったとすると、今は、その間に「ほどほどに楽しい地方都市」という選択肢が割って入った」のだという。「フェニックス族」が、濃密な人間関係の窮屈さから逃げ出すため都市に憧れたのだとすれば、彼ら自身が親ないし年長者となった現在の地方は、逃げ出そうと感じるほど息苦しくないということだろう。

 そんなことを考えたのは、逆に東京を土曜朝に出発し地方(長野県)に向かう高速バスに乗車した際、すぐ後ろの座席のご夫婦の会話が気になったからだ。年老いたご両親が心配で比較的頻繁に帰省する様子。高速道路上の停留所(長野県の一部など、鉄道より高速バスが便利な地域の住民にとっては、パーク&ライド駐車場がある高速バスの停留所こそ大都市への玄関口として定着している)までお母様が自家用車で迎えに来てくれるそうで、年老いたお母様がクルマを運転すること自体が不安だが、そもそも自分たちが顔を出さない平日には買い物や通院で毎日乗っているのだから今さら言っても仕方ない…という会話だった。


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《成定竜一》

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